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2018年8月20日 (月)

看護師がきた。 右足の傷の褥瘡(じょくそう)をなおしをした。 理学療法士がきた。家の中を往復11回(7m*2=14m?)*11=154m?)歩きする..。アナザーストーリーズ「小野田少尉 帰還~戦後29年ジャングルの中で」とBS世界のドキュメンタリー選「プリズン・シスターズ」を見た

ウェルネスリンク  歩数ランキング: 

最近1週間の平均歩数:歩  目標達成:0/7 日  週間Ex量:0.0 Ex
今日は歩数計557
家の中を往復20回(7m*2=14m?)*0=0回(14*20*6=2800m?)
歩くときのストップウォッチで速度をはかる。いまの私は健康な人の約6倍もおそい。私が歩くのは右足の筋肉と便秘改善と頭の体操です。往復20回で歩数計は約2000歩数になる。
①分48秒 ②分48秒  ③分13秒④分04秒⑤分09秒
⑥分06秒⑦分20秒⑧分03秒⑨分22秒
インテレクトEMSポータブルを右肩の骨(行三角筋前部繊維)と
右足の腰骨と大転子の間にパッドを貼りダイアルを下に回し電源を
入れて目安は3-4程度 20分*2回
ハディマッサージャー ハンディバイブ(一般家庭向け電気マッサージ器)を
右手にする。振動刺激で筋肉の緊張をやわらげる。歩くときに悪い右足にできるだけ重心をかけるようにして右足を前に出すときに杖も前に出す。
看護師がきた。 右足の傷の褥瘡(じょくそう)をなおしをした。 理学療法士がきた。家の中を往復11回(7m*2=14m?)*11=154m?)歩きする..。
アナザーストーリーズ「小野田少尉 帰還~戦後29年ジャングルの中で」
 
戦後29年間、フィリピンのジャングルで戦争を続けた陸軍少尉・小野田寛郎。スパイ養成機関・中野学校で受けた特殊な教えは、数々の捜索をはねのけ続けた。そして1974年、ついにジャングルから姿を現した小野田。その時の様子を新聞記者たちが証言!鋭い眼光の裏で見せた不思議な笑顔とは?さらに小野田が潜伏していたルバング島住民や小野田と銃撃戦を行った元軍人の証言で、謎に満ちた29年間に迫る。
1974年3月10日。”軍人”の顔で現れた小野田寛郎を間近で取材していた元読売新聞社会部記者・西島は、取材陣のなかでただ1人、小野田の”意外な素顔”を垣間見たのです。そして、書かれた翌朝の記事には・・・。
1972年の捜索活動に全面協力したフィリピン軍の指揮官・ワッチョンは、番組にこんな質問をなげかけました。「ルバング島で本当になにが起きたか知りたいですか」。そして、小野田の29年間の真実を話し始めました。
小野田は晩年、子供たちにサバイバル術を教えるキャンプを開きました。これまでに指導を受けた子供は2万人以上にのぼります。その1人、鈴木愛は、小野田が常々口にしていたある言葉を覚えています。それは、29年間ジャングルで潜み続けた小野田から発せられたとは思えない、意外な言葉でした。しかし、それこそが小野田がもっとも大切にしていた思いだったのです。
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放送後のポイント解説
小野田寛郎の素顔とは?
終戦後もフィリピンに残留日本兵がいるのではないか?という情報は何度もあり、実際に日本はフィリピンに何度も捜索隊を派遣していました。小野田寛郎さんのご家族も、一度は死亡認定をしたものの、寛郎さんの生存を信じ続け、父親から寛郎さん宛ての手紙を空からばらまいたりもしました。そして、寛郎さんの生存が決定的となったのは、現地で撮られた一枚の写真に寛郎さんが映っていたことでした。
小野田寛郎さんは、『すべての作戦を解除する』という上官からの命令を受けてようやく戦争の終結を悟り、姿を見せたのです。つまり、「軍人として戦地に赴任した以上、命令がない限り日本に帰るわけにはいかない」と考え、また、「どんな生き恥をさらしても生きのびよ」という軍の命令にも忠実に従い、ジャングルの中で戦い続けていたのです。
日本に帰国後、小野田寛郎さんは記者会見の席で軍人としての刺すような鋭い眼光を見せる一方で、歓迎パーティーでは笑顔で普通に食事をする姿も見せていました。ジャングルの中では軍人として、戦争が終結したとわかると普通の生活を送る一人の人間として、直ぐに順応していたのです。
ルバング島の島民の感情とは?
終戦後もルバング島のジャングルに立て籠もっていた小野田寛郎さんは、生き抜くために時には島民を銃撃したり家を焼いたりしていました。小野田寛郎さんに襲撃され、家族を失った島民にとって、小野田寛郎さんは殺したいほど憎かったのです。日本では兵士として最後まで忠実に戦った英雄かもしれないが、フィリピンでは犯罪者という認識だったのです。
帰国後はブラジルへ移住
小野田寛郎さんにとって、29年ぶりの日本は居心地の悪いところだったようです。英雄扱いされることもあれば、ルバング島で何をしていたのか分からない・・・という汚らわしい者として扱われることもあったようです。
そんな小野田さんは、帰国後1年ほどでブラジルへ移住します。ブラジルでは、大きな牧場をいちから拓きました。29年間を無駄に過ごし、何ひとつやり切ったものがなかった小野田さんは、自分で何かやり遂げたかったのでしょう。
また、日本で少年による金属バット殺人事件が起きると、日本で小野田自然塾を開き子供たちにサバイバル術を教えたそうです。そこで小野田さんが子供たちに伝えていたことは、『君たちは一人じゃない。仲間がいるんだよ。』というメッセージでした。
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参考書籍のご紹介
小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争 / 小野田寛郎著 【全集・双書】
小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争 / 小野田寛郎著 【全集・双書】
戦後30年もの間フィリピン・ルバン島でゲリラ戦を展開。帰国後、半年でブラジルに移住し、牧場経営に尽くした波乱の生涯を綴る。1974年講談社刊「わがルバン島30年戦争」の改題。
〈小野田寛郎〉1922年和歌山県生まれ。陸軍入隊後フィリピン戦線へ参加、以降30年間ルバン島で任務遂行の生活を送る。74年帰国、現在ブラジルで牧場を経営。
たった一人の30年戦争 / 小野田寛郎/著 / 東京新聞出版
出演者ほか
【司会】沢尻エリカ,【語り】濱田岳
BS世界のドキュメンタリー選「プリズン・シスターズ」
 
“好きな男と駆け落ちした罪”で服役したサラは、出所後に別の男性と結婚。「塀の中の“自由”」が上映されるストックホルムに招待された際に難民申請を行い、北欧で教育を受けて働くという希望を見いだしていた。そんなある日、サラのもとに、刑務所で親友だったナジベが出所後に殺されたという情報が舞い込む。ディレクターは真相を突き止めるべくアフガニスタンに飛び、タリバンが撮影したという処刑映像を入手するのだが…。
女というだけでなぜこんな目に遭(あ)わされるのか。あまりのむごさに言葉もない。この女性たちの今後が心配でならない。続編で追ってほしい。
投稿者:A
後味が悪く、見ていて気分の良いドキュメンタリーではなかったのですが、多くの人に見てほしい番組です。この後彼女たちはどうなったのか、彼女たちが幸せになれることを祈るばかりです。
投稿者:冬

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